Facebookで失うもの

最近、私の知人が続々とFacebookを始めています。私自身はずいぶん前にアカウントだけ取ってから長らく静観、ずっと距離を置いていたのですが、目ざとく見つけられて引き戻されました…。

まあ確かにFacebookは昔の知人やらの近況を知るなんて用途には便利ですが、それで失われるものもあるような気がしています。例えば、遠くにいる知人を訪ねる楽しみとか。

「やあ久しぶり。遠いところをよく来てくれたね」
「聞いて聞いて。最近こんなことがあったんだよ」
「知ってる。Facebookで読んだから」
「あっそう…」

何となく相手の近況が把握できて割といつでも連絡が取れるんなら、わざわざ休暇を使って会いに行くまでもないかなと。

もちろんFacebook上のやり取りは互いの交友関係も含めて皆に筒抜け、ダダ漏れなので迂闊なことはできませんし、訊きたいこと話したいことのすべてがFacebookで片づくなんてことはないので上手く使っていけばいいだけなのですが、それでも何というか「以前は知り得なかったことまで簡単に知ることができてしまうつまらなさ」みたいなものはありそうな気がしています。まあ、twitterやblog、メールだって同じようなものかもしれませんが。

それと、その気になれば実名で簡単に検索できてしまうのは情緒を損ないますよね。「もう会うことはないかも」「次はいつ話せるかわからない」なんて切ない別れはなくなって、送別会の締めくくりに「じゃ、これからはFacebookで」ってのが果たしてどうなんだか。ある種の物語は成り立たなくなりそうだし。

ちなみにGoogle Plusの方も原則実名が前提らしいのですが、「サークル」として関係を括れるらしいので、もっと目的を絞ったコミュニケーションが可能になるようです。