人生は孤独なものさ

wordpress-logoコナミスポーツがダイビングを廃業して半月。いやぁ、何とも味気ない…。

コナミスポーツ内にダイビングのカウンターがあった頃は、そこに行けば必ず誰かに会えました。仲間とは共通の趣味で繋がっているし、顔なじみのスタッフとは互いの関心事も解っているので、話題に事欠くこともなく毎日を楽しくやってこられたわけです。もちろん長々と話せるのは、お店が忙しくない時に限られましたが。

それがなくなってからは取りあえず運動の時間と頻度を増やしたものの、私は長らくボディビル系の1人筋トレ(しかもインターバルを空けずに多種目をこなすスタイル)を主体にやってきたため、ジムでは話す知人も乏しいのですよね。

もちろん私にも個人的に付き合いのある友人や仲間はいますが、たいていは都合を合わせないと会えません。中にはそれも難しく、音信が途絶えそうな相手も多々。よってあのスタッフ達はある意味友人以上の存在だったとも言え、ダイビングのカウンターはとても有益な場所でした。

コナミスポーツのダイビング事業、聞いた限りでは不採算でもなかったのに廃業、完全撤退では「そりゃないよ」ってなもんです。
6月オープン予定のDive Award武蔵小杉店が、ふらっと立ち寄っても楽しめるようなお店になるかはまだ解りません。

で、ふと思ったのが「そもそも人生とは孤独なものかも」ということ。

考えてみてください。

自身の日常生活のうち、家族と職場以外でどれだけの人と話をしますか?

さらに、そこから挨拶程度の付き合いを除いたら?

たいていの人は意外に少ないのではないかと。その条件だと0って人も多いのでは?

もちろん家庭内や頻繁に会える恋人やらとの関係が良好に保たれているなら、ほどよくコミュニケーションも取れましょう。

でも、独身者や他所から転居してきたばかりの人、多忙や無趣味で新たな人間関係が作れない人、そして家族に相手してもらえなくなった人なんかの場合は、仕事関係以外では誰とも話さないまま1日が終わるなんてこともあり得ますよね。

だから今回のコナミのダイビング廃業で私と同じような思いをした後輩ダイバーには「今の仲間を大事にして、できるだけ交流を保ち続けなさいな」と言ってます。

なにしろダイビングの始めたては学課講習やプール練習、海洋実習などを受けてライセンスを取得する過程で仲間意識が生まれるので同期を中心に交流がさかんでも、その仲間は時が経つにつれ散り散りになっていくものだから。

例えばこんな感じの理由で。

  • 家庭を持ったり子供ができたのを機に中断。再開の目処無し
  • ダイバーではない恋人ができて、ダイビングの優先度が低くなった
  • 仕事が忙しくてダイビングに行かれなくなった
  • 経済的な理由でダイビングにお金を掛けられなくなった
  • 自身が健康を損ない、ダイビングが難しくなった
  • 家族が健康を損ない、自由が利かなくなった
  • 転勤、転居で海から足が遠のいた
  • 他に趣味ができた
  • そもそも頻繁に潜りに行くほど好きではなかった
  • いつものグループの中に会いたくない苦手ができてしまった
  • 一緒に始めた友達がダイビングをやめて、1人では行く気になれない
  • 仲間と休みの都合が合わないが、1人では行く気になれない
  • 信頼していたイントラ・ガイドが辞めたので行く気になれない
  • 別のグループの人と潜りに行く機会が増えた
  • 1人または特定の少人数で潜る方が楽しめると気づいた
  • 近場や冬春の冷たい海で潜る気がなくなった

それでも意識して交流を保てば、いくらかは防げるかもしれません。

うん、スキューバダイビングで全てを語れるわけではないけど、人生とは孤独なもの。さりとてそれを全面的に受け入れるのも虚しいものです。

私もこれからはメジャーどころの海に人が多い時に出かけてみようかな。セブではなくパラオ?近場なら大瀬崎?

いや、それだと退屈だったり満足できずに欲求不満になるのが分かり切っているんだよな…。

聞きたくない、知りたくない

Facebook logoFacebookでは「いったん友達になったけど、その人の日常なんか知りたくない」という相手の書き込みが流れてこないように設定できます。手順はこう。

  1. その友達のプロフィール画面に移動する
  2. 「友達」ボタンにマウスカーソルを合わせる
  3. メニューの「ニュースフィードに表示」のチェックを外す

iPad版は上記と同じ方法でできたけど、iPhone版での設定方法は解りませんでした。

この他にもリスト機能を使って分類する方法もありますよね。

これで友達のまま、その人の余計な書き込みから開放されます。もちろん中には重要なことがあっても気づかなくなりますが、まあその程度の付き合いってことでしょう。

よって、もし私の毎日更新のblogもうざったければ、どうぞそうしてくださいな。

SNS全盛の今日でも私はいまだにblogに軸足を置いています。理由は「伝わる文章」を書く訓練。それと小遣い稼ぎ。

皆がblog内の広告を見まくってくれたり、このblogからAmazonや楽天に飛んでお買い物してくれると、私のダイビング費の足しになって、新しい写真を紹介できるようになります。

LINEも一応使えるようにしてあるけど、どうも世界観や雰囲気が好きにはなれません。アドレス管理などは何ができて何ができないのかが解り難いし、アカウントがデバイスに縛られるのもちょっと。

Facebookのように、iPhoneでもiPadでもMacでも使えたらいいのに。将来、有償で提供するのかも。

Twitterはやっていません。無差別さと無秩序さと雑音の多さが性に合わなくて。やれば少なからず得るものもあるのだろうけど、煩わしいのは嫌です。

聞くところでは、そろそTwitterは末期状態とのこと。匿名での罵詈雑言や、成りすましによるタチの悪い短文の掃き溜めと化した感もあるようだし。

よって私が実際に使っているのはFacebookだけ。企業などのお知らせを一元的に受け取るには便利だし、tweetのフォローも可能なので(発信者側がFacebookに流してくれる必要があるけど)。

Facebookでも偽名は横行しているし、いかがわしい連中や活動も多々あるそうだけど、Twitter界よりはいくらか節度が保たれている印象です。

で、そのFacebookですが、一頃からすると他者の近況が流れてくる頻度が激減したものの、中には最近始めたのか、せっせと書いてくれる人もいます。でもそれはそれで厄介なのですよね。しょーもない書き込みも多くて。

例えばこんな感じ。

  • マクドのチキンてりたまが美味しかった
  • スポーツクラブで運動してきました

どちらも他愛ない書き込みですが、実は大きく違います。前者は誰かの役に立つかも知れない情報なのに対し、後者は単なるその人の日常の報告。「だから何?」ってなもんです。よほど近しい友人だったら、いいね!を付けたりコメントを書いてくれるかもしれませんが「だったらそのグループ内でどうぞ」と。

よって、ちゃんと読んでもらいたければ、多少なりとも他者に有益な情報を盛り込むべきですね。

  • フラダンスに挑戦してみた。意外に難しかった

これなら共感やアドバイスが得らたり、「今度いっしょに」や「私も誘って」とかの反応があるかも知れません。

あとは思想や信条の吐露、感情の動きも良いでしょう。極めて個人的なことでも「こういうことがあって、こう思った」は共感を得たりコミュニケーションの切っ掛けとして有効です。

とはいえ「もっと中身のある書き込みだけにしろよ」なんてことを言おうものなら角が立ちかねません。もちろん「私生活をさらけ出せ」ってのも。てなわけで冒頭の方法が有効なわけです。

ああ、でも「意味があることだけを書こう」はあくまでもSNS上での話。日常生活では意味のない会話、いわゆる雑談力があった方がコミュニケーションが円滑に進むことが多いので。

牡蠣食って復興を応援しよう

早いもので今日で震災から丸2年ですね。少しでも被災者の方々の痛みが癒えていればいいのですが。

かつて一年中ダンゴウオが見られることで有名だった志津川の佐藤長明さんのダイビングサービス《グラントスカルピン》は、昨夏、函館に居を移して再稼働しました。ドライスーツを持たない私はちょっと利用しづらいですが…。

また、福島原発の被災者に対しては支援を思いつかないのですが、津波にやられた漁業者の方には微力ながら支援の方法があります。

ということで、シーズンも終盤ですが、このblog右下にも被災地応援リンクを貼っておきます。

牡蠣ギフト

牡蠣って美味しいですよね。

もっと休みやすい社会にしないか?

フィリピン航空のキャンペーンを利用して6月にセブに行くことにしました。

もちろん目当ては夜毎の妖艶なフィリピーナとのお楽しみ…ではなく水中写真の撮影。来年のフォトコン出品用、そしてこのBlog用に。それと願わくば生涯の代表作を撮りたいものです。

草むらの小人さんのアップ
これまでの最高傑作はこれかな。 コンデジだし、写りはあまり良くないけど、二度と撮れない絵かもしれないので

なにしろセブの海はマクロ天国。その生物相は、同じく安・近・短で行かれるグアムやサイパン、それに沖縄よりも圧倒的に充実している(種類も個体数も多い)ので、特に写真の修行段階にある人は行けば苦労もなく腕前が上がること請け合い。

よって、もし日程を合わせて行かれる人がいれば連絡をくださいな。歓迎します。私が行きつけのショップのオーナーは30年選手のマクロ派水中フォトグラファーだし、アマチュアながら私自身が助言できることもあろうかと。もちろん写真が目当てではなくてもいいですが。

まあ、連れが見つからずにいつものような一人旅になっても良いのだけど。被写体を独占できることが多いから。

■ ってことで…

前置きが長くなりましたが、近年はダイビング旅行に一人でいくことが増えました。なにしろ誘っても自由に会社を休めない人が多くて。かといって年末年始やGWみたいに料金が高くなる上に混む時期は遠慮したいし。幸い私は会社の理解があって休みが取りやすいのですよね。

それに「休みを取りづらい」は日本の社会の大きなネックの一つだと思います。 以前、某オンラインメディア上で著名なブロガーの誰かが「日本ももっと休暇が取りやすい社会にして景気を盛り上げよう」という趣旨のエントリーを書いたらコメント欄で袋叩きにあっていました。どうやら「誰もがあくせく働くことが経済を下支えする」と考える人が多いようで。確かに日本には「病気や家庭の事情などの理由があるとき以外は有給休暇なんぞ許されない」的な雰囲気もあるように感じます。

でも、私はむしろ「多くの人が、割と思い通りに休暇が取れる社会の方がよほど好ましい」と考えます。

■ 働かざるもの食うべからず?

その二つの考え方で決定的な違いが出るのは、継続的に休みが必要になった時。例えば若くして癌などの大きな病気にかかり、通院が必要になったとか。その場合、休みが取りづらい文化や慣習、体質の企業では次第にいづらくなり、場合によっては自主的な退職にすら追い込まれ兼ねません。

もっと身近な例で言うと、女性が妊娠を機に退職するパターン。例え制度があっても産休・育休が取れなかったり、復職後の待遇面が著しく不利だったりというケースが未だに多々あると聞いています。

でも、そうやって業務遂行のスキルと意欲、経験、そして人脈を持った人が放り出され、時には所得水準を下げてキャリアの積み直しになればその人の消費行動は萎縮するわけです。そしてそのような人が多ければ景気を押し下げます。

企業側にしても欠員が出れば新たな人材を確保し、場合によっては手取り足取り育成しなければなりません。そうまでしても人材が定着しなければまた振り出しからのスタートです。それに人望ある人の退職だったなら残された人たちの士気も下がります。これって誰にとっても実にもったいない話ではないかと。

昨今のこのご時世、経営者やマネージャにしてみれば最小限の人件費で回したくなるのも無理はないのですが、合成の誤謬なんてこともあります。個人の倹約は美徳でも大勢のそれは不景気の要因になり得るという。

もちろん業種や職種、タイミングなど、様々な理由によっても例外はあるのでしょうが、大雑把には、不意に欠員が出ても難なく持ちこたえられる会社組織の方が好ましいいはずです。

■ ワークシェアリングのすすめ

いわゆるワークシェアで労働機会を分け合えば当然個々への報酬額は減ります。でも、それで国や地域の個人消費、内需が下支えされるなら、回り回ってその方が得なのかもしれません。

例えば5人分の仕事があったとして、各人が1.25人分ずつ4人でこなし1人分の人件費を浮かせるのは、同じ仕事を5人で行うよりも一見優れたやり方に思えます。0.25倍増しの労力は残業代として、増えた利益はボーナスなどで還元されることもあるでしょう。当事者としては頑張り甲斐があるところです。

でも、それだと後者のやり方に比べて1人が職にあぶれます。もしその1人が妥当な所得を得られなかったり失業状態が長引いたりすれば、国や地方自治体の社会保障コストがかさみ、いずれ税金が上がります。所得が増えてもそれ以上に税負担が大きくなれば当然ながら生活は豊かになりません。まあ、所得の額面が膨らめば誇らしいかもしれませんが。

それに「安いものしか買わない」という消費行動はデフレを招き、ビジネス環境を萎縮させがちです。

民間企業ならば、どんなに優秀な人でも自社の業務を取り巻く環境が悪化すれば否が応でも収入が減り、職を失う可能性だってあるわけですが、その時のダメージたるやワークシェアで目減りする分をはるかに上回るかもしれませんよね。

■ 頑張りすぎないことが大事

いまだ精神論が根強く、勤勉さや献身的な働きぶりを美徳とする多くの日本人にとって「頑張りすぎるな」は受け入れにくい価値観かもしれませんが、漁業になぞらえれば解りやすいかと。

市場で人気の魚をたくさん獲ってたくさん出荷すれば目先の利益は増えるものの、乱獲によって対象の魚が減れば、以後は不漁にあえいだり禁漁指定のあおりを食ったりするものです。

自分だけが抜け駆けすれば同業者が皆共倒れなんてこともあり得ます。負けじと他者が追随しようものなら終わりの到来も早まります。頑張りすぎればかえって害になるので、皆で自重することが重要です。

その観点でいくと、末端の労働者が残業や休出の労働を受け入れすぎるのは、局所的には良くても全体には良くないことなのかもしれません。

もっと言うなら、いわゆるブラック企業は、全体や先々のことは犠牲にしてでも目先の漁獲増を狙う悪質漁業者みたいなものですね。

かつての高度成長期のように伸びしろが無限で頑張るほど報われるという時代なら別ですが、もはや誰かが獲りすぎれば他の多くが食いっぱぐれるような国の一面がなきにしもあらず。当然、あらゆる分野にあてはまるわけではないけど。

■ 現実的なところでは…

まあ、そうは言っても頑張りすぎない社会や端からワークシェリングを掲げた企業運営は難しそうなので、まずは各人が休暇を取りやすい環境作りを目指すのがいいのではないかと。個々人の努力や研さんは素晴らしいことだとして、誰もがおおむね好きなタイミングでしっかり休暇を取るのが当然という。

国の関与は私もあまり好ましくないと思うけど、有休休暇の最少日数と消化率の向上ぐらいは義務づけてもいいかもしれません。

それは何も楽をしようとか、レジャーやバケーションを促進して個人消費を増やそうということではなく、たとえ多くの休みが必要になっても職場から弾き出されたり、大幅に所得やら消費能力を失うことがないような社会を目指し、ひいては経済全体を下支えするのが目的ってことで。

■ 結び

というわけで、日本でももっと休暇が好きに取れるような風潮になってくれば、私の旅の道連れも見つかりやすくなるのになぁ…。

ミャンマー料理を初体験

昨夜、会社近くに最近オープンしたミャンマーレストランに行ってみました。

ラーメン屋の二階で、お店の扉は窓すらない引き戸。中が全く見えず入りづらいのなんの。でも構わず入ってみたら、ミャンマー人のお姉さん方が3歳ぐらいの子連れでわいわいやってて実に楽しい雰囲気でした。もちろん日本語も普通に通じます。

どうやら昔ながらのカラオケスナックの居抜きらしく、内装はいかにもスナック風のカウンター席とソファ席。固いソファに座って低いテーブルに向かってでは食べにくかったなぁ。

ミャンマー料理のメニュー
お店の入り口に張り出されたメインメニュー

とりあえず「うまいミャンマービール」とやらを。世界各国金賞受賞18回だそうです。

ミャンマーの美味しいビール
確かにおいしい気がしました。 私はビールにはこだわりがないので、味の善し悪しまでは言えないけど

そしてサラダ。「一番ミャンマーっぽいのはどれ?」と訊いて頼んだ「お茶の葉のサラダ」。 この写真では解りづらいものの、お茶っ葉と数種類のナッツ、乾燥エビを油で炒めた感じの料理でした。唐辛子とナッツを炒めた韓国のお菓子に似てるかな。

お茶っ葉サラダ
サラダといいつつ脂っこいけど、ビールには合うかな

そして頼んだもう一品が「モヒンガー」。なにしろ一番想像が付かなかったのでぜひ試そうと。メニューの写真ではこんな感じ。

モヒンガーの見本写真

てっきりお皿に盛られたシチューっぽい煮物料理だと想像していたら、出てきたのはこちら。

モヒンガーの現物
どんぶりいっぱいの素麺みたいな麺料理でした。 ちなみにオレンジ色の物体はカリカリの魚フライだったかと

以前、ミャンマー料理はかなり辛いと聞いたことがあったので激辛党の私は憧れていたのですが、さすがに日本人向けにアレンジしたのか、辛さもカレーのようなスパイシーさもありません。それでいてどうやって味を出したのかまったく想像が付かない初めての味でしたね。決して不味くはないけど、美味さを理解するには回数を要するかも…。

営業時間が17時〜5時という、これまた不思議なお店なのですが、いずれはランチも始めるのかな。メニューにそれっぽいことが書いてあるから。そうしたら利用しやすくなるのでメニューを一通り試してみたいものです。

顔馴染みになれば本場のそれに近い辛いミャンマー料理を出してもらえるかもしれないし。