東電救済法案は命取りになるかもなぁ

一昨日、原子力損害賠償支援機構法が参院でも可決され、成立してしまいました。

大ざっぱに言うと、これから原子力損害賠償支援機構ってものが作られ、そちらが賠償金を肩代わりして支払い、東電は借金を返していくのだそうな。

そう聞くと金融危機の時の銀行への資金注入みたいですが、事情は大きく違いますよね。銀行は…

  • 賠償の義務を負っていたわけではない
  • その後は運用益から返済した

でも東電の場合は電力を上手く運用して利ざやを稼ぐなんてことはできません。

原発問題は一向に収束する気配がなく、最近でも「セシウム牛」やら「セシウム米」が話題になるなど賠償見込み額は膨れ上がるばかりです。当面は保有資産を売り払い、給与カットの類いを続けるにしても、結局は電気代の値上げとして利用者にツケが回ってくるわけです。おまけに菅総理肝いりの電力買取法案まで成立した日にはコストが上積みされるのでまた電気代が上がります。

今必要なのは電気の世界にも競争原理を入れることですよね。よく引き合いに出されるケータイの世界のような。なのにこんな法律を作れば「参入障壁を堅持する」「新規参入は認めん」と言わんばかり。この「既存の機関を徹底的に守る」という慣習が日本の不景気を際限なく引き延ばしている大きな原因だというのに。

水は汲みに行くこともできますが電気は自然界から貰ってくることができません。その意味では人々にとって水道よりも電気の方が必要度が高いとも言え、その値段が上がれば家計にも産業にも響きます。これが円高なら輸出には痛手でも輸入には有利ですが、電気代が上がって嬉しい人はいません。また一つ企業を海外に押し出し、多くの企業を経営難に陥らせる要因をこしらえてしまいました。

結果、この国の経済はますます悪くなっていくでしょう。既得権に切り込まれないために経済を犠牲にしてでも消費税を上げたい財務省の悲願みたいなことが、原発事故を切っ掛けに経産省と与野党のタッグによってなされてしまったわけです。

結局、まともな政治家を国会に送り出してこなかったことのツケが、我々国民に経済的な凋落としてはね返ってくるのでしょう。

東京電力をぶっ潰せ!

先日、フィリピンでテレビのニュースを見ていたら例の作業服を着た東電のお偉いさんがたの映像に「TEPCOがどうのこうの」という英語のテロップが出ていました。いやぁ東電は海外でも「TEPCO」で通じるようになったのですね。

さて、政府と東電が連日迷走しまくっています。肝心の被害者支援や賠償問題はそっちのけで国会も巻き込んだ悪者探しですか…。

私は東京電力は速やかに破綻させるべきだと思っています。電気料金の安易な値上げは許さないという声は根強いものの、結局のところ遠からず国民がツケを払わされる形になるのでしょう。20兆円とも噂される賠償金を東電が単独で捻出できるはずがなく、どこかで税金を投入する必用が出てきます。で、「あらかた吐き出させてから不足分として国民に負担を強いるか、各方に既得権を持たせたまま国民に負担を強いるか」のどちらかなら当然後者なわけです。「波及効果が大きすぎるから潰せない」ではなく「大きすぎるからこそ資本主義のルールに則ってクリーンに事を進めなければいけない」と。役員報酬やら社員の平均年収やらが高すぎるなどと感情的に叩くことはせず、ちゃんとした破産管財人を入れて処置するべきです。

卑小なことで言えば、下がりまくっている東電株を今のうちに買っておき、後に持ち直してから売って利益を出そうという便乗投資家を儲けさせてはいけないとも思います。それって税金を株価に転化するような話なので。

まあ、何一つ決断できない民主党政権のことなので、東電もJALの時と同様、ぐずぐず延命させて目一杯傷を深めるまで手を打たないなんてパターンになりそうな…。

 

おっ、ドコモも月火休みに!

今夏は自動車業界が木曜・金曜休み、ドコモが月曜・火曜休みに移行するとのこと。電力不足を受けての期間限定処置ですが、それでも結構なことです。大企業で休日の流動に実績ができるのは。

いつだったか大型連休の地域別シフト案をフジテレビの特ダネで小倉キャスターが「バッカじゃないの!?」と一蹴していました。「例えば北海道に単身赴任するお父さんと東京で暮らす母子供が一緒に休みを楽しめなくなる」と。でも私があの場にいたら「小倉さんこそバッカじゃないの!?」と言いますね。「あんた、休みが自由に取れないのを前提でしゃべってるでしょ?」と。

もちろん世の中には休みが自由にならない人たちもいるものの、そうでない人も大勢います。そしてこの国に蔓延している「何とも休みを取りづらい空気感」が景気を低迷させ結局は自分たちの首を絞めている要因の一つなのだと知るべきです。「最少人数で回すため過剰労働を強いられる上に休めない。そうしてワークライフバランスを崩しつつ、旅行に行かれるのは高くて混雑するときだけ」なんてのは極めてナンセンス。観光地側にしても連休にだけドッと押し寄せてあとは閑散では適わない上、そこに従事する彼ら彼女らも自身の人生を楽しむことが難しくなります。

なので私なんかは国を挙げてもっと休みやすい風潮を作るべきだと思いますね。そのためなら祝祭日を減らしても良いので。もし欧米人のようにロングバケーションが当たり前ともなれば、労働の現場には代替の人員が必用になるのでより多くの雇用が生まれます。もちろんそれだけなら企業には負担増ですが、人々がより効率的かつ積極的にお金を使うようになれば景気が好転するので報われるだろうと。

ついでに言うと、お役所の類いは電力不足に関係なく速やかに金土休みか日月休みに移行してもらいたいものです。ちょっとした用事で役場に出向くために会社を半休しなければならないのは馬鹿馬鹿しく、生産性の面でも損失なので。

定年者の再雇用は老害の元凶

今夏、私のダイビング仲間の一人が定年を迎えます。10代の若者も70代の年配者も一緒に楽しめるところがスキューバダイビングの良いところです。

で、もうすぐ60歳のその知人は大手電機メーカー勤務なのですが、雇用形態を変えて会社に残れるとのことで仲間としては喜ばしく思っています。今どきの60歳は老人と呼ぶのも相応しくないほど元気ですし、突然張り合いをなくして老け込まれても悲しいので。会社側も方針に精通した経験豊富な人物を安価な賃金で雇えるのは好都合でしょう。高齢化社会を見据えての一種の社会貢献という意思表示もできます。

ただ、社会的にはどうでしょうかね。彼のような人が会社に残ることで若い人の雇用枠が一つ減ったとも考えられるので。せいぜいあと数年という人を雇い続けることで、向こう数十年間は産業界の一角を担う人に正社員の身分と経験を積む機会を与え損なうのは長い目で見れば損失でしょう。

もちろん個々の会社、個人によって事情は違いますし、起業家本人や自営業者、作家、芸能人といった個人の素養でもって活躍している人は別として、老舗の大企業のような既存の枠組みが出来上がっている組織の中で高齢者が居残るのは好ましくないと私は考えます。いわゆる「老害」だと。

その最たる例が政治の世界。例えば「年寄り議員が使いこなせないから」という理由でいまだにWebでの選挙活動が禁止されていますよね。でも、自身がITに疎いならちゃんとしたスタッフを雇えば良いだけです。実際、多くの議員が公式Webサイトを開いているわけですし。振り返れば「失われた20年」ですか。バブル崩壊後、日本が停滞かむしろ活力を無くし、じわじわと衰退の道を辿っているのもうなずけようというものです。世代交代という新陳代謝がどれほどもなされていないのですから。

産業界に話を戻すなら、もはや国内の製造業は余命いくばくもないと言われています。高品質な部品製造・輸出の類いは生き残るにしても、新興国勢との価格競争を免れない電気やら自動車やらのメーカーが数年後も今の姿を留めているとは考えにくいところです。とある総合メーカーの事業で言えば、原発関連は縮小を余儀なくされますし、その他に関しても夏冬の電力不足が追い討ちをかけます。ならば国内で今の規模の雇用を続けるのは不可能と考えるべきでしょう。

もっともそういった企業が後継者不足で廃業を覚悟した第一次産業よろしく向こう数年後には事業をたたむ覚悟ならいいのですが、この先も末永く存続し、かつOBへの年金も健全に払いたいということなら、保守的になりがちな逃げ切り世代の経営陣は速やかに後進に席を譲った方がいいです。

そして政界に目を向けるなら国家公務員の定年を通算25年ぐらいに制限する法律を作るべきですね。「高齢でも有能な政治家はいる」ではなく「新陳代謝のサイクルが緩やかなこと自体が問題なのだ」と。

元の話で言うと、定年退職者が同じ組織に勤め続けることは宜しくないので「所定の年月を務め上げて一定の役目を終えた人は、ぜひとも活躍の場を他所に求めるのが当然」という風潮ができて欲しいものです。じゃないと、この国は本当に萎んでしまいかねないだろうと。私情を横に置けば、メーカーは定年を迎える彼を再雇用せず、代わりにインターンででも若者を一人二人受け入れるべきだと思いますがね。

お金、お金、お金。今やるべきことは…

幸いなことに直接的な被災に遭わなかった我々が今やるべきことは、できる限り普段の生活を守ることでしょう。加えて、お金を送ること、そしてお金を使うことだと思います。どっちかというと後者の方が好ましいのかなとも。もし仮に我々が全財産をなげうって被災地支援にあててもらったとすれば、それはすごいサポートになるでしょうが、その先は心細くなり、下手すると力尽きかねませんので。

もちろん物資の買いだめなどは論外ですし、買い物も難しい現状があるにせよ、何となく買いそびれていたものを買うなど、意識してお金を使って経済を回すことが巡り巡って被災者、被災地への復興支援につながります。

日本人はどうもこんな時には娯楽や遊行を恥じ入るようなメンタリティがあるようですが、それらの産業にも少なからず従事者がいるわけで、そういったことを過剰に差し控えれば彼ら彼女らは生活の糧を失います。結果、被災地支援もままならなくなるわけです。善意が更なる経済的弱者を生み出してはいけません。うかれすぎず、さりとて萎縮せず、むしろ可能な範囲で積極的にお金を使うべきです。保身で財布のヒモを締める方が罪つくりなのだと。

まあ、さすがに開店前のパチンコ屋に並ぶ人などを見ると、それはどうかと思わなくもないですが。パチンコ台は少なからず電力を使いますしね。

それから義援金はできるだけ公的な機関に託すべきですね。今日、駅前に募金箱を並べながら大声を張り上げて募金を募っているおばちゃんを見かけましたが、善意の行動であるにせよ慎んでもらった方がいいです。

少し前のタイガーマスク運動の時は「不効率でも、やらないよりはずっとマシ」という理屈も成り立ちましたが、今回はそうではありません。個人や少人数の単位でどうこうしようと考えれば、かえって関係者の負担を増やしてしまいかねません。例えば、各人が家に眠っている毛布を届けようとするよりも、関連業者に大量の毛布を寄付してもらった方が実際にそれの入手に困っている人にとっても良いわけで。

お金はしかるべき機関に託して送りましょうね。そして、おかしなことにならないかを考えつつ、できるだけお金を使いましょう。

差し当たり、iTunes Storeを利用すれば、面倒な手続きもなく家にいながらかんたんに寄付金を託すことができます。