電子書籍元年の幻想

十数年にわたる前史を踏まえ、今年は電子書籍元年とも言われています。AmazonのKindleが海外で一定の成功を納め、iPadが鳴り物入りで発売され、Andoroid端末が各社から投入されようということで、いよいよ機が熟したのではと目されたわけですが、早いもので2010年も残すところ二ヶ月あまり。ちっとも電子書籍時代の幕開けとは感じられないのは私だけでしょうか。

もちろん中長期的には紙の本の需要は確実に減りますが、まだiPadさえあればという状況からは程遠い感じですよね。いつまで待てばいいのか見当すらつきません。

さて、先日SHARPが主導するガラパゴスが発表になりました。何とも自虐的なネーミングにも思えますが、私は意外にいけるのではと見ています。それこそePub規格やAppStoreよりも遥かに有望ではないかと。日本国内に限ってのことですが…。

結局、市場では有力作家なりコンテンツなりを多く抑えた方が圧倒的に有利だったりします。iPad版のガラパゴスアプリが登場するかは解りませんが、ともかく出版社以下を囲い込んで「日本の著名な作家の作品はガラパゴスを介さないと読めない」という状況を作ってしまえば、しばらくの間パラダイス鎖国は実現するでしょう。ガラパゴス陣営は外来種の勢力拡大を牽制しつつ、電子書籍時代への移行を自分達の主導によってソフトランディング的に進めたいのは当然です。

そうしてガラパゴスが思いのほか賑わう以外の可能性としては、電子書籍市場が一向に盛り上がらず何年も経ってしまうということも考えられます。いや、あながちこちらの予想も捨て難いのではないかと。日本の人々がiPadなりガラパゴスなりを所有し、さらに電子書籍を購入してそれで読むという習慣を身に付けるのは、まだまだ先のような気がしますので。

ePubねぇ…

私もIT業界人の端くれなので、いわゆる電子書籍ブームにはアンテナを張っています。差し当たり流通のための主要フォーマットは三種類。

  • ePub
  • PDF
  • アプリケーション

大ざっぱに分ければ、ePubが文芸書、PDFが雑誌、アプリがインタラクティブですね。そして自身のビジネスチャンスという観点から見るとePubに目が行きます。なにしろPDFは利用ツールと作り方がほぼ決まっていますし、アプリは企画開発品なもので。

AppleがiBooksに採用したことで一気に認知度が上がったePub。半年前、私もePub制作ツール、具体的にはワープロ類の開発を本気で検討していたのですが、ePub規格の実情を知れば知るほど戸惑いが大きくなってきました。当初見込んだ複雑な表現が何もできないのですよね。本当にテキストと挿し絵程度のものにしか使えない感じだったので。

ならば、ePub制作用ワープロなどという代物に需要があるのかは疑問です。書籍を送り出したい人々は「ePubが作成できる新たな何か」ではなく、使い慣れたワープロなりテキストエディタで作品を書いてから、何らかの手段でePub化する方法を好むのではないかと。要するに新たな製品はWordに代表される定番アプリと張りあう必要があるわけです。Wordが良いツールだとは私には到底思えないのですが、それでも到底勝ち目のない勝負のように感じられます。

Pagesのアイコンさて、ePub生成機能を備えたツールとしてはInDesignやSigilが有名ですが、ここにきてPagesもその機能を持つに至りました。Word向けにもePub生成機能を追加するプラグイン製品が出ていますね。フリーのツールもわんさかリリースされています。HTML→ePub化やバリデーションを提供するWebサービスなどは既にあるか早々に登場しそうな気がします。あるいはHTML同様「仕上げはやっぱり手打ちでなければ」ということになるのかも知れません。

もはや電子書籍への流れは止まりませんし、ePubそれ自体は爆発的に広まるでしょう。腕の立つ編集者なら形が紙からePubに変わろうとも活躍の場を得られるはずです。オンライン書店もそれなりに賑わうかも知れません。でも、それに乗っかってePub関連製品で一山当てるなんてことは難しそうだというのが私の現時点での見解です。それこそ開発に一千万円かけて売り上げは500万円がやっとみたいな話に終わりそうだと。それでもiPadの発売間もない6月ごろにリリースできれば、物珍しさや先頭ランナーとして一定のプレゼンスが得られる可能性も考えられたのですが。

もっとも、ePubにチャンスが無いといっても、どこかの業界団体がやろうとしているように日本独自フォーマットで囲い込もうなんて話はもっとナンセンス。確かにAppleやGoogleと同じ土業での戦いを避けたいのは解らなくもないですが、こちらはガラパゴス化にすらならず、早々に絶滅に追いやられる可能性が高かろうと。

ScanSnapを買いたいのだが…

私も電子書籍を自炊したくなりました。会社には裁断機とScanSnapが設置してあるのですが、裁断はともかく、スキャナをプライベートな書籍のスキャンに使うのは遠慮したいところ。なにしろ数十枚ごとに原稿を給紙しなければならないので。そのため自宅にもドキュメントスキャナを導入したいと思って調査を始めました。

まずは機種選択ですが、やはり定番のPFU(Fujitsu)ScanSnapが良さそうです。当初、よりコンパクトな下位モデルのS1300にしようかとも思ったのですが、ドキュメントスタッカの収容枚数が10枚と少ないので却下。読み取り速度は遅くても良いのですが、原稿の給紙回数が増えると厄介なので。

だとすると、私はMacユーザなので必然的にS1500Mとなります。こちらのドキュメントスタッカは50枚対応なので快適に使えるでしょう。

ただし、引っかかるのが添付品。Acrobatのバージョンが8のままなのです。Win版(S1500)のAcrobatは9なのに。PFUになぜかを訊ねると「Adobeとの契約です」というつれない回答。推測するに、Adobeとはバージョンあたりのライセンス数で契約していて、Macの方は想定ノルマまで達しておらず、切り替えられないのでしょうかね。

と言うか、私はAdobe CSを所有していてAcrobat 9(Mac版)を既に持っているのですよね。ノルマの話が本当なら相反してしまいますが、ぜひAcrobatなしで割安なS1500Mも発売して欲しいところです。そもそも売価4万円程度の製品に36,500円相当のソフトウエアが添付されているというのも妙な話でしょう。

それと気になるのがScanSnap S1500Mの発売が2009年2月で、既に1年半が経過していること。某量販店の店員さんに訊ねても「情報は持ってませんが、周期的にそろそろ新製品が発表されてもおかしくないです」とのこと。もちろん実際にそうなるかは解りませんが、買ったとたんに新製品が出た日にはやり切れないので今はまだ買えませんね。念願の自宅での自炊生活はもう少し先になりそうです。

出版業界、突然死へのカウントダウン

荒川強啓デイ・キャッチのPodcastで山田五郎さんのデイ・キャッチャーズボイスを聴きました。内田樹さんのスト宣言のいきさつに触れつつ、人気作家の本ばかりが矢継ぎ早に出る好ましくない風潮の理由として、書店での場所取りの目的があるのだとの考察でした。年間7万点あまりの新刊本が発行されている中で、人気作家の本でないと書店で置いてもらえない現状があるのだと。

また、取次に卸せば一旦は売り上げが立つため、すべてではないにせよ出版社は返品分を上回るだけ新刊本を作って卸す自転車操業的な運営がなされており、スタッフの数は増えていないのに出版点数は増えていくという、たいへんな状況にあるのだそうです。

もちろん電子書籍にしてしまえば書店のスペースなんぞには影響されなくなるわけですが、そうすると干上がるであろう取次会社の大株主は出版社だったりするので、手足を切り離すような思いきった決断もできないとのこと。

ならば出版社が電子書籍ビジネスにイマイチ乗り気でないのも解らなくはないです。近ごろiPadがブームとはいえ電子書籍端末の普及度はまだ僅か。現段階で電子書籍に軸足を移しても大きな売り上げは見込めないわけですから、出版社の経営者としては旧態然としたやり方にしがみつくしかないですよね。「将来性はないが、まだそこそこ売り上げが立つやり方」と「将来の本命でも今はまだ満足な売り上げにならないやり方」の選択肢なら断然前者。それをいつまでも続けられないことは重々わかっているものの、今日明日を食いつなぐためにはそうするしかありません。そうして逆境にも耐え忍んでいれば時折メガヒット作品に恵まれたり、何かのブームが訪れる特需があるやもしれませんし。

とは言え、当面は人気作家に本を書いてもらえば(人気作家の名前で本を出せば)取りあえずの売り上げには繋がるかもしれませんが、それを続けていくと購買者層を絞り込むようなことにもなりかねませんよね。結果、多様なニーズに応えられなくなればますます本離れが進みますし、街の本屋さんがギブアップすれば人々は本を買う機会を減らし、その習慣を忘れることでしょう。

産業にも旬や寿命があるものです。出版業界の団体はもはや「我々の誰かが食いっぱぐれるなら電子書籍なんかやらない」なんて言っていられる場合ではなく、業界を挙げて早いこと電子書籍でも食っていかれるように守り立てないと、もっと惨いことになりかねません。例えば、業を煮やした著名作家がことごとく外国の電子出版業者と契約を結んでしまうとか…。

電子書籍の時代は本当に来るのだろうか?

オンザウェイ・ジャーナルの佐々木俊尚さんの回(2週目)を聴きました。前回同様、過渡期にあるメディア論は大変興味深かったのですが、中でもちょっと気になった点が。それは「村上龍さんの『歌うクジラ』の電子書籍は、横書きにも関わらずぜんぜん読みやすい」との見解。いや、もちろんここで語られているのは佐々木さん個人の感想に過ぎないのですが、それでもきっとそうなのだろうなと。なにしろ今日の日本語の文章には横文字が多々含まれているわけです。古典文芸書などはともかく、今どきの社会的な背景の文章には断然横書きの方が向いているはずです。

で、今さらなぜそんな当たり前のことを書くかというと、電子書籍の主役的なフォーマットであるePubの難点として「ルビが表現できない」「縦書きができない」という意見がよく聞かれるから。

確かにルビは日本語の書き文字文化を豊かにしてくれる重要な要素となっています。もし仮に人気漫画「ONE PIECE」なんかをルビ禁止にしたら面白さが目減りしてしまうような気がします。人の名前にしても、平易に読める字しか使ってはいけないとなると、何とも味気ないことになりますよね。

でも、縦書きの方は、そんなに必須というわけではないんじゃないかと。古典文学や文芸書が横書きでは雰囲気がそがれる思いを抱く人は多いかもしれませんが、誰もが目にしたことがある教科書を始め、横書き文書はそこら中に溢れているわけですし、慣れればどいうとうこともないのではないかと。事実、IT用語のように英数字が混在する今どきの文章では、むしろ縦書きは不利なわけです。中国なんかでもとっくに縦書きから横書きに切り替えてしまってるそうですし。

結局、ePubの縦書きうんぬんは言い訳として便利に使われているだけなんじゃないかという気がしています。皆ケチやら注文を付けたいんじゃないかと。

例えば出版社や著作者は、電子書籍による収益性が未知数、もしくは懐疑的、あるいは受け入れがたいほど厳しそうなので、なるべく先送りにしたい。そしてIT側に身を置く人は、様子見の方便に使っているか、あるいは来るべき日に自身が有利に立ち振る舞うべく表向きは牽制しているとか。「日本ではまだまだですねぇ」などと言いつつも裏では着々と対応を進めているような。

そして、「ルビ振りと縦書きさえできるようになりさえすれば…」を真に受けて、キラー的なニーズと捉えようものなら痛い目に遭いそうな気がしないでもないです。案外、それらが実現しても、やっぱり日本の電子書籍市場は、ごく一握りの有名作家(紙でも電子でも売れるような)の作品のみが売れる程度という状況が続く可能性もあるのではないかと…。